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ま心のコラム

震災と心の場所

2016年3月1日

えば、自分の家族や恋人など、愛する人が砂漠で道に迷っていたとしたら、その命を救う一壜の水に人はいくらのお金を支払うでしょうか。誰もが全財産をはたいてでもその一壜の水を買うのに違いありません。
心の価値は無限なのです。誰かを愛する心とは、その人の存在を越えているといってもいいかもしれません。

金では買えないものがこの世にはあります。
かねてから欲しかったものを、いつも身近にいる誰かが手間暇かけて探し出してプレゼントしてくれたとき、たとえそれが高価なものではなかったとしても、簡単に手放す気持ちになれるでしょうか?
たとえ万金を積まれてもそれと引き換えにできない何かがそのプレゼントの中に宿っているはずです。それが心であり、本当の幸福なのです。

2011年3月11日の東日本大震災で、多くの方がこの世に2つとはないその心やその幸福を失いました。
そのとき起こった悲しい出来事は枚挙にいとまがありません。
泥の中から見つかった、一度も学校に背負っていくことのなかったランドセル。亡くなった夫のスーツのポケットから見つかった、結婚記念日祝いの指輪。震災当日徹夜で救助活動を行い、次の朝跡形もなく流された我が家と犠牲になった家族のことを知った自衛官の方。
被災された方の中には、今もそうした悲しみの中に暮らしている方がたくさんいます。

を愛する心には、自分自身を超える無限の価値があります。そしてその命は永遠なのです。
人のためを思って行動しましょう。それは傷ついた自分の心をいやす、よく効く薬でもあるのです。
そして自分らしく精いっぱい生きてみましょう。

うすれば、失ったはずの思い出が実は自分自身の胸の中にいつまでも変わらずに光り続けており、いつかまたどこかで会えるはずの懐かしい人が、私たちの幸せをどこかでともに喜んでくれているのをはっきりと感じることができるはずです。

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