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ま心のコラム

謎は謎のままに

2019年5月1日

書によると「謎」とは「正体がはっきりしないこと。不思議、不可解なこと」とあります。

この世の中は推理小説以上の謎で満ちているのではないでしょうか。

絶滅した古代文明の遺跡。犯人が分からず、迷宮入りした事件。ケネディ大統領暗殺といった歴史的事件。人間はなぜ夢を見るのか。また、イースター島の「ロンゴロンゴ」やクレタ文字など、現代では解読されていない文書の数々。

私たちは無数の謎に囲まれて暮らしているのです。

命の起源も謎に包まれています。地球最初の生命は数10億年前、隕石に運ばれて宇宙から来たという説もあります。

また通常の脳の働きとは違う人間の「意識」とは何かということも解明の途上にあります。そういった意味では人間自体が、人間である私たちにとってさえ謎の存在なのです。

学者や芸術家に限らず、人間はみんなこの世界の謎を解く探偵だということができるかもしれません。しかしその謎はまだまだ当分の間解けそうにありません。

謎を知りたい、と願うのは人間の本能のようなものです。しかし謎というものはすべからく解明されればそれでいいというものなのでしょうか。

件や事故は一刻も早く解明されてほしいものですが、もし仮に「睡眠中に見る夢は全く無意味である」とか「地球外には生命が存在しない」という証明がされてしまったとしたら何か味気ない気持ちがするのではないでしょうか。まさに夢のない話です。夢が何かがわからないからこそ、夢を見る価値があるのです。

世界は解けない謎に満ちています。しかしその謎に対して人間は無力ではありません。

「考えたってどうせ分からない」と放り投げてしまうのが、解けない謎に対する最も進歩した考え方ではないでしょうか。

ならぬ身の人間は、最初からあらゆることが分かるようにはできていないのです。

地磁気がなぜあるのかがわからなくても、私たちはコンパスで方角を知ることができます。オーロラがなぜカーテン状になるのかが分からなくても、そこに自然の神秘を感じることができます。

「心」とは何なのかが科学的に解明されていなくても、私たちは心を使って人に温かく接し、人の優しさに感動することができます。

しいことは全部幸福の仕組みにおまかせしましょう。私たちにできること、そしてしなければならないことは、考えてもわからないことを考えることではなく「心を使って生きる」ことなのです。

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