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ま心のコラム

花の散る時

2013年3月1日

 年も桜の季節がやってきました。
日本に住む外国人は最初、桜の開花予想を何かの冗談かと思うそうです。世界中探しても「チューリップ予想」や「バラ予想」はないからです。しかしやがて日本人の桜に対する繊細な想いを理解するようになると、自然の中でする「桜のピクニック」を楽しむようになるそうです。

 本最古の花見である「神泉苑の花宴」や豊臣秀吉の「吉野の花見」など、歴史上有名な花見はみんな貴族や武士のものでした。花見が庶民のものとなったのは江戸幕府八代将軍徳川吉宗の時代からです。吉宗は生まれ育った紀州を懐かしんで墨堤や王子飛鳥山に桜を植え、庶民の楽しみとして開放しました。

 「ひさかたの 光のどけき 春の日に しずこころなく 花の散るらむ」
百人一首の歌人は桜の散るはかなさを日本人の心に重ねました。しかし桜が美しいのは散るからだけのことなのでしょうか?

 害エイズ訴訟で有名な参議院議員の川田龍平さんは、遺伝性血友病の治療によって10歳の時にHIVに感染しました。当時の医療技術では余命いくばくもないという宣告しかされませんでした。花はあまりにも早く散ってしまったのです。
しかしもちろん、川田さんの人生はそれで終わりではありませんでした。むしろ、それからが本当の人生の始まりだったのです。

 田さんは高校生の時に薬害エイズ裁判を闘うことを決意し、偏見に満ちた当時の世相の中で実名を公表しました。
「あきらめなければ、できることがあります」というスローガンのもと、絶対に勝てないとまで言われていた国と製薬会社を相手取った訴訟に和解という実質的な勝利を得、現在参議院議員を務めながら幅広い人権活動を展開しています。ジャーナリスト女性との家庭も築いています。

 境は花が散ることに例えられます。しかし、花が散ってからこそ桜の木は旺盛な生命力を発揮し、葉桜の時期を経てサクランボの実を結ぶのです。
見事に咲く花は桜の命の象徴です。でもそれは命のサイクルの始まりにすぎません。始まりが終わる時、ようやく人生の本番が幕を開けるのです。
「もはやこれまでか」と思うような困難に直面しても決して希望を捨てなかった人だけが、その道のりの果てに勝利という果実を手にすることができるのです。

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