ま心のコラム

自分の斧

2015年4月1日

存じイソップ寓話「金の斧」で、斧を川に落としたきこりは幸運の女神に「私が落としたのは金の斧でも銀の斧でもなく、鉄の斧です」と正直に答えた褒美に、斧を3本とも与えられます。
しかし 神ならぬ人間の世の中では「私が落とした斧はそれです!」と声高に言う人が金の斧を取り、誠実な人は鉄の斧を手にするだけということも多いものです。
イソップ寓話は間違っているのでしょうか?

え、そんなことはありません。
もしきこりが金の斧を手にしたとしても、それは目先の利益にほかなりません。
金の斧できこりの仕事ができるでしょうか?
新しい鉄の斧を買ったとしても、手になじんだ古い斧とともに手放してしまった誇りは買い戻すことができません。

の斧を求めたばかりに失ってしまった社会人としての、親としての、人間としての誇りは一体どこでもう一度手に入れればいいのでしょうか? 自分のものではない金の斧と引き換えに心を空っぽにしてしまえば、何もかもが空っぽにしか見えなくなります。

1984年のロサンゼルスオリンピック、男子柔道無差別級決勝戦は、エジプトのモハメド・ラシュワン選手と日本の山下泰裕選手の試合になりました。
山下選手は2回戦で起こした右足の肉離れで、大変不利な状況に立たされていました。
エジプト陣営はラシュワン選手に「ヤマシタの右足を攻めろ」と指示しました。が、ラシュワン選手が試合開始20秒後に繰り出した技は、得意の右払い腰ではなく左払い腰でした。相手の弱点を狙わず、世界のヤマシタとの真っ向勝負に出たのです。

む足を引きずって金メダルの表彰台に上がる山下選手に、銀メダルのラシュワン選手が手を差し伸べました。観衆から金メダル以上の喝さいを浴びたラシュワン選手の笑顔は「私の斧は鉄の斧だ」と語っているかのようでした。

もが何よりも価値のある自分自身の「鉄の斧」を持っています。そのままのあなたが一番幸福のそばにいるあなたなのです。

イー・エス・ピーへの
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