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ま心のコラム

決断のドア

2014年4月1日

判員制度は一定の重罪事件について、全国の有権者から無作為に選ばれた裁判員が、裁判官とともに被告人の裁判に当たる制度です。地域によっても異なりますが、裁判員候補になる人はおよそ二百人~四百人に一人、実際に裁判員になる確率は五千人に一人くらいだと言われています。

判員制度は司法に国民の日常感覚や常識を反映させ、信頼性を向上させるとともに、裁判の迅速化を図る目的で導入されました。日本の裁判員制度は裁判員と裁判官の合議によって判決を下します。そこが陪審員だけで判決を下す欧米の陪審員制度と違うところです。

判員に選ばれた人の中には「人が人を裁くことができるのだろうか」という思いにとらわれる人もいます。また宗教家は「信条によって死刑をふくめた厳罰を下すことはできない」と言います。しかし一方で犯罪者への処罰があまりに軽すぎると、被害者やその親族、ひいては一般社会の司法への信頼が揺らいでしまいかねません。
判決を出すに際して「これが正しい」という方法などどこにも見つけようがないように思えます。

とえ正しいという確信がなくても、私たちには決断を下さなければならないことがたくさんあります。究極的に考えれば、完全に正しい決断などあり得ないのかもしれません。
しかしどんな時も自分が正しいと信じて疑わなかったり、間違っていることを知っていながら反省がなかったりすることは避けなければなりません。決断を下したあと「自分の決断は間違っていたのかもしれない」という疑問を心のどこかで抱き続けることが最も正しい態度なのではないでしょうか。

いを断ち切るのは容易なことではありません。
しかし苦渋の中で下した決断はその代償に必ず私たちに一つの自由を与えてくれます。もし何かに行き詰った時は、何か一つの決断をするべき時なのかもしれません。決断によって開かれた小さなドアの向こうにはどんな世界が広がっているのでしょうか。ドアの向こうに行ってみるまでその素晴らしさはわからないのです。

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