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ま心のコラム

水のごとく

2015年8月1日

日さまざまなニュースがテレビや新聞、インターネットなどを騒がせています。ニュースにも良く見ると種類があります。
ひとつは、汚職や麻薬関係の事件などのように、当事者のどちらにも非があるために起こった事件です。傷害や窃盗事件、ある種の交通事故の中にもそうしたタイプのものが見受けられます。当事者のどちらか——つまり自分さえ十分に気を付けていれば、そうした事件の被害者にはならずに済みます。

つ目は、その反対に事件は起こったけれど誰も悪くはない、というパターンです。火山の噴火や大雪災害、地震などに代表される自然災害や、疫病などです。市街地でイノシシにぶつかられた男性が重傷を負うという事件もありました。
そうした災害に対して、人間に力はまだまだ小さいのだと感じざるを得ません。

もそんなとき、私たちは誰でも、温かい心で一日も早い災害からの復旧を願ううことができます。ま心を込めることが人間の発揮できる最も大きな力なのではないでしょうか。

つ目は、当事者の片方だけに非があるという種類の事件です。強盗事件に虐待事件、不正・不祥事、不注意による事故など、枚挙にいとまがりません。悪事によって真の幸福が得られないことは誰もが知っているのに、それでも悪事はなくなりません。
紀元前中国の思想家・孟子は「人の性の善なるは、なお水の低きに就くがごとし」と言いました。人間は生まれながらにして善の心を持っていると唱えたのです。

かし世の中にあるのは孟子の言う通り「善」ばかりではありません。
善、すなわち良いこととは何でしょうか。
それはどうしたら良くなるかと常に考えることではないでしょうか。
孟子が人間を「善」ととらえたのは、より良くなるように努力できることが、人間の人間たるゆえんであると考えたからではないでしょうか。

の心とはつまりお互いを助け合う気持ちのことです。人間が考える力を持っているのは悪事を働くためではなく、お互いを助け合うためなのです。

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