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ま心のコラム

日本の牛とブータンの牛

2015年12月4日

マラヤの裾野にブータン王国という小さな国があります。中国とインドに挟まれた、人口70万人ほどの敬虔なチベット仏教の国です。
そのブータンでは、ちょっと変わった政策が取られています。というのは、経済発展の指標であるGDP(国内総生産)に代わってGNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)の増大を国家の目標に据えているのです。

まり、国民がより大きな幸せを感じることを中心に全ての政策が行われているのです。経済発展はそのための手段の一つとして位置付けられているにすぎません。
経済発展の代わりに国民の幸福を追求することを目標としたのはブータンが世界で初めてであり、現在唯一の国家です。新しい国家概念の出現に世界からに注目が集まっています。

かし人間にとって一体何が幸福なのでしょうか? 万人に共通な「幸福」というものが一体存在するのでしょうか?
お金持ちになって何不自由なく生活すること――これも幸福の一つの形です。しかし、経済的に発展した先進国で意識調査をすると、幸福だと感じている人が必ずしもその他の国より多いというわけではないというのも現実です。

ータンでは伝統や環境を保護するため、国土の開発にも制限があります。テレビが普及しだしたのは21世紀に入ってから。国内の道路には信号機が一つもありません。
幸福だと感じている国民の割合は先進国より確かに多いのですが、その代わり国民が先進文化の恩恵を受けることができず、世界の流れから取り残された孤立国になってしまいかねないジレンマを抱えています。
これが幸福だ、というものを苦労して手に入れてはみたものの、指の間からするりと抜け落ちて後には何も残らないということもあります。裏表のない、完全な幸福は一体この世に存在するのでしょうか? あるとすればそれは一体どこに求めればいいのでしょうか?

本ではもっぱら食用や搾乳用として飼われている牛ですが、ブータンでは牛は主に農耕用の家畜として飼われています。街のいたるところで牛がのんびり歩いていたり、草を食べて寝そべっている姿が見られるそうです。
整然とした清潔な牛舎で至れり尽くせりの世話を受け、非常に高い経済的効果を生む牛を飼う社会と、様々な用途に使役されながらも、人間のそばで老いるまでのんびり暮らす牛を飼う社会があります。そのどちらが幸せなのかを一概に決めることはできません。

かしどこにいてどんなことをしていようと、幸せとは一人に一つ、必ず用意されているものなのです。「幸せになれる」と信じている人のところに、幸せは必ず訪れるのです。
それを手に入れる確実な方法があります。それは「自分は誰かの喜びとなっているだろうか?」と、いつも心に問いかけることです。

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