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ま心のコラム

戦争と笑顔

2017年8月3日

2006(平成18)年春、一人のウクライナ人男性が63年ぶりに「来日」しました。その方の日本名は上野石之助さん。旧日本陸軍の兵士で、樺太で終戦を迎えたあと故郷に戻ることなくウクライナで結婚し、その土地の人となりました。自分の名前以外の日本語はほとんど忘れていたそうです。
ずっと行方不明だった兄との思いがけない再開に弟さんと妹さんは「長い年月が経った」と涙したそうです。

平洋戦争が終わっても長い年月を“戦地”で過ごした方が数多くいます。
横井正一さんはグアム島に配属され、終戦を知らないまま現地で自給自足生活を送りました。戦後27年が経った1972(昭和47)年に帰国し、最敬礼とともに「恥ずかしながら帰ってまいりました」と言った言葉が流行語になりました。戦時中の教育で「生きて祖国へは帰らぬ決意」を教えられていたのです。
小野田寛郎さんは戦争がまだ続いていると信じてフィリピンのルバング島で米軍とのゲリラ戦を続けました。ジャングルに出向いた元上官から正式に任務を解除され、日本に戻ったのは1974(昭和49)年3月のこと。終戦から29年の月日が流れていました。

多くの悲劇を繰り返してきながら、世界各地で起こっている戦争の惨禍はやむ気配がありません。戦争とは関係のない人々が暮らす街が戦場となり、多くの人々が家や財産、そして命までも失っています。
兵士たちは一体何を守るために銃を取らなければならないのでしょうか?
決して戦地に赴くことのない一握りの権力者たちは、戦いに勝てば消えてしまった温かな絆や貴い命が戻ってくるとでもいうのでしょうか。

には何かを守らなければならないときがあります。しかし、何かを守る手段はお互いに争うことだけではないはずです。
むしろ、大切なものを一番強力に守ってくれるのは、争いを避ける笑顔なのではないでしょうか。

を消すのに火をもってしても、それが消えるのは全てを焼き尽くしたあとのことです。心のこもった笑顔を忘れない人が最も強い人だということを理解したとき、世界はようやく本来の明るい未来に向かって歩き始めるのではないでしょうか。

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