イー・エス・ピー > コラム > 心の痛みは幸福の金貨

ま心のコラム

心の痛みは幸福の金貨

2014年6月1日

いやりを持って人に接すること――私たちはそう教えられてきましたが、その難しさに直面して当惑してしまったことはないでしょうか。

車やバスで、高齢者に席を譲ろうとしたら「結構です」とかえってプライドを傷つけてしまうこともあります。「わが子のために」と何不自由ない暮らしをさせていたために、かえって子どもの社会適応が難しくなってしまうこともあります。また、発展途上国に対する国際援助がかえってその国の貧困と政治的腐敗を助長してしまうケースもあるそうです。
善意というのは、時に相手を傷つけてしまう両刃の剣であるということを考えなければなりません。

は誰でも「自分のために」と思う利己心を持っています。利己心は生きていくために必要不可欠な感情ですが、砂糖のように甘美なのがその特徴です。生きていくための必要以上に膨満した利己心同士の争いが、人間の歴史だとも言えるのではないでしょうか。

己心と博愛心は正反対の心です。だとすれば、利己心の甘い味に対して、博愛心にはどんな味がするのでしょうか。
おそらく苦みを含んだ口に合わない味がするのではないでしょうか。
痛みと言ってもいいかもしれません。
苦みや痛みを感じる行為こそが、本当に他人のためになる行動だと言えるのです。善意とは、両刃の剣による傷を自分が受け止めることなのです。

のために傷つくのでしょうか。
それはあなたの渾身の善意を受けた誰かの心からの喜びのためです。誰かのその喜びを感じた時、人は自分がなぜここにいるのかを――つまり人生の意味を――はっきり理解することができるでしょう。

た傷つきながら人のために行動する人には、必ず誰かがその人のために、同じように傷つきながら何かをしてくれることでしょう。
幸福はお金ではありません。痛みを受け入れる心にこそ、真の幸福が心でしか購えない理由があるのです。

イー・エス・ピーへの
お問い合わせはこちら