ま心のコラム

心の価値

2014年11月1日

成26年9月27日、長野県の御岳山が噴火し、山頂付近で57人が亡くなり、6人が行方不明となる戦後最悪の火山災害となりました。「今でも主人がただいま、と帰ってきそうな気がします」と語る家族の悲しみは計り知れません。

いもかけない災害を前にした時、人間はそれに抗うすべを知りません。
私たちは、そうした不条理な世界に住んでいるといわざるを得ないのです。
私たちはそうした試練に直面したとき、ただ打ちひしがれているよりほかはないのでしょうか。

んなことはないのです。困難に直面した時は、それを乗り越えていく道を、困難自信が教えてくれるのです。
愛する人を失った人には、悲しみを味わった分、より強く、より広く愛する心が与えられます。悲しみを経た強い心が人生をより豊かに、深く彩ってくれることでしょう。その心こそ、去ってしまった人が残してくれた大切な贈り物なのです。

難とは、今まで見ていた風景から目を転じて、違った角度から物事を見る機会でもあるのです。困難に直面して現れた、今まで知らなかった風景をゆっくりと見回すことができたなら、それはもう困難ではない何か新しいものとなっているのではないでしょうか。

る家庭の話です。
会社都合で職を失ったご主人は再就職がなかなか決まらず、鬱々としていました。
そんな様子を見た娘さんが家計を助けるつもりで「今月のお小遣いはいらない」と五千円札を返してきました。ご主人は、その気持ちを嬉しいと思うと同時に歯がゆさや自分に対するふがいなさも感じてしまいました。

ころが、シャツのポケットに入れていた五千円札を、奥さんが気付かずに洗濯してしまいました。くしゃくしゃになったお札を銀行で交換しようとしたところ、娘さんがこういいました。
「くしゃくしゃになったって五千円の価値は変わらないじゃない。パパと同じだよ。だからこのままでいい」
ご主人は奥さんがアイロンをかけてくれたその五千円札を大事に取っているそうです。

難にあって打ちひしがれても、その人の価値はそれまでと変わりません。むしろそれどころか、今までに見たこともない不思議な色に輝くのです。

イー・エス・ピーへの
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