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ま心のコラム

復興の足取り

2018年3月2日

2011(平成23)年3月11日午後2時46分。
東日本大震災の発生から7年が経とうとしています。
「史上最悪の地震が襲ったのは、世界一準備され訓練された国だった。他の国ではこんなに正しい行動は取れなかっただろう」
イギリスBBCは東日本大震災に関してこんなコメントを放送しました。

災当時、日本人の「底力」が数々の場面で発揮されました。
多くの交差点では信号機が作動しなくなり、交通整理も行われませんでしたが、ドライバーたちは見事な譲り合いの精神を発揮して、大きな混乱も事故も起こりませんでした。「お先にどうぞ」「ありがとう」という意味の感謝のクラクションがあちこちに響いたそうです。
ある飲食店では震災時に店外へ避難したお客が、揺れが収まるとみんな代金を支払いに戻ってきたそうです。
電気のない暗い町でもある婦人は「私たちは停電には慣れてるの。戦争のときはこの上に爆弾が降ってきたのよ」と語って周囲を和ませました。
ある日本人が韓国でタクシーに乗ったとき、運転手が料金を受け取ろうとしませんでした。
運転手は「その代わり、日本に帰ったらこのお金を復興のために寄付してください」と言ったそうです。

島第一原発事故の影響で避難区域とされていた地区は、平成29年4月1日より放射線量が多い大熊町、双葉町、浪江町などを除き大幅に解除されました。
しかし、戻れるようになったとはいえ、そこは6年間ほぼ無人だった土地です。仕事は、買い物は、学校は、病院はどうすればいいのか? 中には野生のイノシシに荒らされてしまっている家もあるそうです。
「帰りたくとも、帰れない」
そんなもどかしい思いをしたり、帰還を諦めざるを得ない方々が数多くいるのです。

災地の方々を支援するボランティア活動が今も続いています。
活動の内容は被災当時に行われた炊き出しやがれき撤去などから、地域のつながりを生み出す集会開催や、高齢者の日常支援などに重点が移っています。
支援する側もされる側も「ボランティアを通じて得た人と人との繋がりは財産」と等しく思っているのです。

たちは隣の人の心の重荷を代りに背負ってあげることはできません。できることは、ただそばにいてせめてもの手を差し伸べてあげることだけなのです。
でもそれだけができることなら、できるだけのことを精一杯してあげようではありませんか。精一杯に力をふるうからこそ、今日できなかったことも明日はできるようになるのです。

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