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ま心のコラム

平和とは思いやりの心

2018年8月1日

平洋戦争が終わってから、今年で73年を迎えます。
戦争末期、日本の主要都市は幾千、幾万の人命とともに一夜にして文字通り灰燼となりました。戦闘に巻き込まれた罪のない人々が、追い詰められて自ら死を選びました。二つの都市が、十数万人の命とともに一瞬にして消滅しました。

年9カ月の戦争で亡くなった日本人は、戦死者と民間の犠牲者を合わせて約310万人と推計されています。当時の日本の人口はおよそ7千2百万人だったので、23人に1人が亡くなったことになります。もしこれが何かの事故か災害による数字だったと考えると、戦争がどれほど悲惨のことなのかがよくわかります。

争による悲惨な出来事は過去のものではありません。現在も、世界中で戦禍に苦しむ罪のない人々が大勢います。
中東のシリアでは、政府、反政府勢力、イスラム国の三つの勢力が7年以上も内戦を繰り広げています。死者数は11万人を超えたところで集計不可能になっています。5百万人以上の海外難民を生み出しました。

じく中東のイエメンでも三つの勢力が争いを繰り広げており、5万人以上が死亡し、7百万人が飢餓寸前の状態に置かれています。
また、ウクライナでは政府と反政府勢力の間で内戦が起き、298人が乗った民間旅客機がミサイルで撃墜されるという大惨事が起きました。

争の脅威にさらされる人々が見ている世界はどんなものなのでしょうか。おそらく、恐怖と窮乏のぎりぎりの状況でお互いをいたわり合い、守り合う暮らしがそこにはあるはずです。自分の身を守るためには、他人を思いやることが必要不可欠なのです。

リギリの状況の中で、かつての日本人が生き延びてきたのは、お互いを思いやる心を持っていたからではないでしょうか。
日本人が平和を愛する気持ちは、戦争中に体験した、お互いを助け合うその思いやりの心に根差しているのではないでしょうか。

たちが享受するこの平和は、310万人の命というとてつもない高価な代償のもとに手に入れたものです。
73度目の終戦記念日が訪れます。
悲惨な体験を経て実現した平和の意味を、目を閉じてじっと思い返してみましょう。

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