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ま心のコラム

世の中の接着剤

2017年11月1日

臣秀吉には数々の側近がいましたが、その中でも機略に富み知恵袋とも呼ばれた人物が二人います。
一人は美濃国(現在の岐阜県)の竹中半兵衛。織田信長の家臣であった秀吉に仕えました。
天正3(1575)年5月、信長・家康軍と武田勝頼軍が戦った長篠の戦において、竹中半兵衛は秀吉の命令に従わず兵を動かしませんでした。武田軍は手薄と踏んだ地点を責めてきましたが、そこに待ち構えていたのが半兵衛の軍勢でした。
武田軍を見事撃退して秀吉をうならせた半兵衛は「知らぬ顔の半兵衛」という異名を取ることになったと言われます。

う一人は播磨国(現在の兵庫県西部)姫路生まれの黒田官兵衛です。
天正18(1590)年、秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、官兵衛は秀吉が最も恐れていた家康と織田信雄に先陣の功を立てさせてその勢いをそらし、のちに自らが単身乗り込んで無血開城させました。秀吉は官兵衛の智謀を警戒したと言われます。関ヶ原の戦いでは東軍に付いて戦いました。西軍を率いた石田三成から九州各地の城に「攻め手に如水(官兵衛)がいれば降伏せよ」という通知が出されていたそうです。

に天下人――トップに立つ人がいればその陰に必ず参謀役がいます。
ホンダ創業者である本田宗一郎氏には「希代の策士」と呼ばれた藤沢武夫氏がいました。欧米のMBA(経営学修士)取得者なら「経営とは経営学の本の逆をやること」と言った藤沢氏の言葉を一度は耳にしているそうです。
松下幸之助氏には「松下の大番頭」高橋荒太郎氏が、ソニーの井深大氏には共同創業者の盛田昭夫氏がそれぞれついていました。
いつの時代もトップとして華々しい活躍を見せる人たちは、「天下を取らない生き方」を貫く側近に支えられているのです。

謀役に徹する人々には、天下人にはない美点があります。それは「他人のために自分を活かす」という献身的な心です。
トップを支える側近にも、その人を支える人たちがいます。そしてその傍にもその人たちを支える人たちがいて……というふうに、「人のため」という気持ちが、世の中を一つにまとめる接着剤の働きをしているのです。世の中を動かしているのは「人のため」に働く大勢の人々のほうで、ピラミッドの頂点にいるリーダーとは、実はそうした名もなき人々の世話焼き役なのかもしれません。

のためを想う心は、人と人を信頼関係でつなぎます。信頼でつながれた心と心は、一人では想像もつかない大きな力を発揮することができるのです。
そしてその力こそが、世の中を少しずつ、しかし確実に良い方向へと動かしていくのです。
誰かのためを想う無私の心で、未来に咲く花をどんな美しい色にでも染めることができるのです。

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