ラジオの時代
2015年6月1日
ときどきニュースで「ラヂオプレス」という名前を耳にします。「ラヂオプレス」は海外のラジオ放送を聴取し、その情報を発信している機関です。海外情勢の第一報がラジオによってもたらされることもあるのです。
誰もが手軽に聞けるラジオは、かつては最先端の情報機器でした。NHKの「紅白歌合戦」も初めは大人気を博したラジオ番組でした。
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今日では、情報伝達の花形の地位は衛星放送やインターネット、スマートフォンなどにうつり、ラジオはその陰で静かに鳴り続けているばかりです。
しかしラジオが一転して活躍するのは災害時です。阪神淡路大震災や東日本大震災でライフラインが途絶えたとき、ポータブルラジオは有力な情報源でした。
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しかし人々がラジオに頼った理由は、それがほぼ唯一の情報源だったからだけではなかったようにも思えます。
今までに経験したことがないような局面に遭遇したとき、人間がまず求めるのは、言葉による情報なのではないでしょうか。
映像は、何の説明もいらない形で物事のすべてを見せてくれます。反対の言い方をすれば、「どこかの誰かのこと」として目の前を通り過ぎていきます。
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それに対して言葉は、聞く人の想像力を刺激しながら胸の中のどことも知れない場所に消えていきます。あとにはその言葉に込められた「心」が残ります。
どうしていいかわからない不安なとき、寂しくて誰かに頼りたいとき、人は優しい言葉を必要とします。人が言葉を話すのは、言葉によってしか伝えられない何かを、心の奥に持っているからなのです。
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ラジオから始まった遠距離通信の発達によって、私たちは世界中の情報を居ながらにして手に入れることができるようになりました。
また、光通信や3Dテレビなどの伝達技術は年々加速度的に進歩しています。
しかし先端技術の発達に比べ、それを駆使して伝えられる情報の中に、人の心を優しく包む「何か」はどれほど進歩しているのでしょうか。ラジオしかない時代のほうが幸せだったというのなら、技術の進歩など何の意味もありません。
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戦争や犯罪、環境破壊のニュースではなく、この地球に生まれたことを感謝する気持ちになれる素晴らしい出来事をよりたくさん映し出してこそ、先端技術はよりはっきり「心」を伝えるのではないでしょうか。
人々がお互いに手を取り、協力し合う世の中を作るために技術の進歩は貢献しなければならないのです。