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ま心のコラム

エルヴィスの夢

2018年2月5日

「キング・オブ・ロックンロール」
エルヴィス・プレスリーは、あの派手なステージからは想像できないほど引っ込み思案な子どもだったそうです。「マザコン」と言われてクラスでいじめられ、教師からもあのユニークな歌声を理解してもらえず、音楽の成績は最低の「C」だったそうです。
音楽との出会いは15歳のとき。上級生からギターを教わり、夢中になって練習します。高校を卒業するころには「音楽で身を立てたい」と思うようになりますが、自費で吹き込んだ2枚のレコードには何の反響もありませんでした。オーディションでも「このままトラックの運転手を続けた方がいいでしょう」と言われる始末。若き日の「キング」は逆境にあえいでいました。

ころで、飛行機が飛び立つとき、風は必ずある方向を向いていなければなりません。それは逆風です。風に向かって進まなければ、離陸に必要な翼の揚力がうまく得られないのです。

ルヴィスもこの原理を無意識に利用したのかもしれません。
エルヴィスは「黒人のように歌える白人」を探していたあるバンドのセッションに参加しますが、いくら歌ってもなかなかうまくいきませんでした。
夜が更けてそろそろ終わりにしようかとみんなが考え始めたころ、エルヴィスが突然激しく踊りながら歌いだしたのが、彼の初ヒットとなる「ザッツ・オールライト」だったのです。メンバーたちは何が起こったのか分からないまま、興奮とともにその歌を録音したといいます。

レビに登場したエルヴィスは「頽廃(たいはい)のどん底」「骨盤エルヴィス(エルヴィス・ザ・ペルヴィス)」などと、批評家からの激しい批判にさらされました。
しかし大人たちのしかめ面は、かえって若者たちの熱狂に油を注ぐことになりました。
またエルヴィスは黒人音楽を崇敬しており、人種差別を軽蔑していました。故郷メンフィスで「黒人の夜」という催しに参加して人種差別法に抗議したエルヴィスの言動は黒人たちを喜ばせ、保守的な白人層を激怒させました。

かし、非難されるべきなのは狭い考えに閉じ込められた保守的な人々のほうでした。エルヴィスの存在価値は自ら逆風に向かっていき「新しいものの見かた」を世界中に教えた点にあるのです。
現代の私たちは、逆風が吹かない空しさの中に生きているのではないでしょうか。正しいと思ったことは断固として言葉にし、行動に移すこと。逆風に乗って人は初めて空高く舞い上がることができるのです。

ルヴィスは薬の乱用から体調を崩し、1977年8月16日に自宅バスルームで倒れているところを発見され、病院で死亡が確認されました。42歳の生涯でした。名声と富の中、風に乗ったエルヴィスはもう誰の手も届かない高みへと昇っていったのです。
生きていれば83歳。「エルヴィス・プレスリー生存説」がいまだに語られており、生きているという確かな情報を提供した人には多額の賞金が支払われることになっています。
エルヴィスはいまだに人々の夢の中に生き続けています。

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