いい人にならないために
2018年11月1日
ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」では、主人公のジャン・バルジャンは親代わりの姉に育てられます。そして貧困の中で暮らす姉の子どもたちのために一本のパンを盗み、重罪に処せられてしまいます。
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一方、戦後間もない日本で、食べ物を食べずに亡くなった一人の裁判官がいました。
食糧管理法に基づいてヤミ米などを取り締まる職務に当たっていた山口良忠判事は「自分はヤミ米を食べるわけにはいかない」と、1日たった2合の配給米で生活し、しかもその大半を育ちざかりの子どもたちに与えていました。食料管理法は当時、守ると生きていられない悪法でした。判事は職務中に栄養失調で倒れ、郷里の佐賀県で亡くなりました。34歳の若さでした。
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生きるために一本のパンを盗んだジャン・バルジャンと、命に代えて法秩序を守り抜いた山口判事。物語と現実という違いはあれど、2人の人物の全く対照的な生き方には「生きるとは何か」ということを考えさせられます。
人はともかくも生きていかなくてはなりません。一人の人の命は、自分だけのものではないからです。生きるためにはときどきまっすぐな道からの「脱線」を覚悟しなければならないときもあるのです。
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必要があれば、人をがっかりさせることもなくてはなりません。
頼まれれば何でもかんでも嫌な顔をせずに引き受けなければならないわけではありません。過大な要求や不当なお願いには上手な言い方ではっきり「NO」と言わなければならないこともあるのです。人のためになるとは「いい人」になることではないのです。
自分を大切にすることとは、小さなわがままを通すということでもあるのです。
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自分がしっかり地に足を着けていてこそ、人を助けることができるのです。まず自分を大切にすること。それが人のためになる第一歩なのです。