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ま心のコラム

時間を超える不朽の心

2019年2月1日

「村正」と言えば、名刀でありながら徳川家康から忌み嫌われた妖刀として有名です。家康の祖父も父も村正で暗殺され、嫡男の切腹や正妻の死にも村正が使われたといわれています。真田幸村が大坂夏の陣で家康をつけ狙ったのも、薩長など幕末の討幕派志士が佩<は>いていたのも村正でした。刀の研ぎ職人でさえ村正の切れ味を恐れたそうです。

本刀には「古刀」と「新刀」の区別があります。慶長年間(江戸開幕前後)以前に作られたものを古刀と呼び、それ以降のものを新刀と呼びます。砂鉄を用いた「たたら鉄」を鍛え上げて作った古刀に対し、鉄の製法にこだわらず、新興の城下町で自由に作られたのが新刀です。その後日本刀はどんどん最新の材料や技術を使って製作されるようになり、時代とともに「新々刀」「現代刀」と呼び名を変えていきました。

ころが、日本刀のしなやかな切れ味、また姿かたちの美しさにおいて優れた評価を得ているのは、進歩した技術を用いている新刀以降の刀より、「村正」「正宗」に代表される古刀の方なのです。収集家にとっての価値も古刀に優るものはありません。

々の古刀は、それがどうやって作られたのかはもう誰にもわかりません。はるか昔に今よりずっと素朴な方法で作られた刀が、最先端の現代科学でもとらえられない極めて優れた特質を持っていることに、誰もが驚いたり首を傾げたりしているのです。

界にも、同じように不思議なことがいくつもあります。南米ペルー・インカ帝国の空中都市マチュピチュやナスカの地上絵。エジプトのピラミッドも、なぜ、どのようにしてあの巨大な構築物ができたのか、現代人の知恵をもってしても謎が残るのだそうです。
ですが、その不思議な業を成し遂げたのは、まぎれもなく私たちの先達なのです。
その業が成し遂げられた当時、知識や技術のレベルは今より低いものでした。しかしだからこそ、それを補って余りある何かを当時の人々は知っていたとしか考えられません。それが「心」ではないのでしょうか。

識や技術が進むにつれ、物は精密に、高性能に進化していきます。しかしそれらは、新しい技術によって次々と古びていきます。時代を経るほどにその価値を増す不思議な存在は、そうした物にこめられている人間のま心なのではないでしょうか。

しかし心は忘れ去られてしまったわけではありません。それは今も私たちの生活に息づいています。
例えば小さな町工場で最先端宇宙ロケットの部品が作られています。長年かけて磨き上げた職人の指先が、百分の一ミリの差異を見分けるのです。精密な加工は機械でもできます。ですが最後に必要とされるのは、コンピューターの計算ではなく人間の指先なのです。ある工場にはNASA(アメリカ航空宇宙局)の人が訪ねてくることもあるそうです。

昔の人が苦心して残してくれた文物は私たちの財産です。そこには失われた「未知の心」が託されています。未来とは、科学を知らない古の人が見出した「心」を、再び探しに行く道でもあるのです。

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